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仙台高等裁判所 平成3年(ネ)509号 判決 1992年9月11日

控訴人

甲野春子

甲野一郎

乙川夏子

丙沢二夫

被控訴人

丁海秋子

右訴訟代理人弁護士

石橋忠雄

祐川信康

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一  当事者の申立て

一  控訴人ら

1  原判決中控訴人らの敗訴部分を取り消す。

2  被控訴人の請求をいずれも棄却する。

3  被控訴人は控訴人甲野春子に対し金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五三年四月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文同旨

第二  当事者の主張及び証拠関係

当事者双方の主張は、次のとおり付加するほかは原判決の事案の概要記載のとおりであり、証拠関係は<省略>。

一  控訴人ら(2項以下は控訴人春子のみ)

1  本件公正証書遺言は、以下の点において無効である。

(一) 本件公正証書は、公証人田中三郎が遺言者甲野太郎の口述を筆記したものではなく、実際は同公証人役場の事務員が前もって作成し、遺言した場所という青森市民病院の太郎の病室に持参して来たものであることは、右公正証書の本文と右公証人の署名の筆跡が全然異なることから明らかであって、公正証書遺言の方式に違背するものである。

また本件公正証書遺言に証人として立ち合った鈴木四郎は、事情も分からず前記病室に行き、包括遺贈の意味も分からないで公証人の求めに応じて署名し、印鑑を手渡したに過ぎないから、同人は証人としての役割を果しておらず、形式的にはともかく実質的には公正証書遺言の方式に違背するものというべきである。

(二) 控訴人春子と太郎の婚姻関係は、未だ夫婦としての実体を喪失してはいなかった。すなわち、同控訴人は、太郎と被控訴人が同棲していたことは知らず、太郎と時々会って肉体関係を持ち、家族の生活を話し合い、金銭の授受をしていたものであり、太郎に女がいると知った後も、戦前の教育で我慢することが女性の美徳と教えられていたことから、そのうちに女と縁を切って帰宅するとの太郎の約束を信じて、じっと我慢していたのが実情である。このような夫婦の実体を考慮すれば、被控訴人に対し包括遺贈した本件公正証書遺言は、公序良俗に反するものというべきである。

(三) 控訴人春子は、五〇〇〇万円以上の借財があるし、合浦七番二六の土地までも遺贈の対象に含まれていることを考慮すれば、本件包括遺贈によって、控訴人らの生活基盤が脅かされることは明らかである。

(四) 太郎は被控訴人に対し大野片岡の土地建物だけを遺贈する意思で本件公正証書遺言したものであることは被控訴人本人の供述に照らして明らかであるところ、合浦七番二六の土地までも遺贈の目的となっているのであるから、右遺言には要素の錯誤があり無効である。

2  合浦七番二六の土地及び合浦七番一三の土地、建物は、いずれも太郎名義で取得したものではあるが、実質的には当初から控訴人春子の単独所有するものであり、しからずとしても太郎の共有持分は、原判決が認定した二分の一も存するはずがない。

すなわち、合浦七番二六の土地は、昭和四四年九月一七日太郎名義により代金二六五万円で買い受け、太郎が北奥羽信用金庫(旧青湾信用金庫)から二七〇万円を控訴人春子と実兄乙川五郎の連帯保証により六〇回分割返済の約で借り受けて右代金は支払ったが、太郎は最初の分割払金一万六五〇〇円を支払っただけで支払わなかったため、控訴人春子が困っているのを見かねて五郎がその後の分割払をなし、更に太郎が昭和四五年四月一日に青森県市町村職員共済組合から一五〇万円を借り受け、同月二五日にうち五六万五〇〇〇円を北奥羽信用金庫に支払い、さらに残債一五〇万円を証書貸付を受けて弁済したが、五郎は同年五月二一日にその証書貸付分の元利金全額を弁済してくれた。

また合浦七番一三の土地は、昭和三二年一〇月一五日太郎名義により代金二八万円で買い受けたが、これは五郎が実際は控訴人春子のために全額を支払って買ってくれたものである。その地上建物も、太郎の名義で住宅金融公庫から三七万円の融資を受けて建築したものであるが、それだけでは不足であったため約一〇万円を五郎が控訴人春子のために支払っており、右公庫への返済についても、太郎が支払できなかったため同人が昭和四九年九月三〇日に残債約五万円を支払ってくれた。

3  控訴人春子が昭和六一年四月に太郎から贈与された一〇〇〇万円は、生計の資本として贈与されたものではない。

夫婦間において、生計の資本として贈与されるのは恩恵など特別の場合に限られるのであり、妻の生活や子らの生活に必要なものとして与えられる資金は、生計の資本としての贈与には当たらないというべきところ、控訴人春子は一人で働いて子らを養育看護し成長させたのであり、その間にかかった生活費、教育費等は一〇〇〇万円を下らない。太郎が控訴人春子に渡した一〇〇〇万円は、夫婦間の協力扶助義務に基づいてその履行としてなされたものであって、同控訴人に残るような恩恵的なものと異なるから、生計の資本としての贈与ではない。

したがって、右一〇〇〇万円を、原判決のように、生計の資本としての贈与とみて、遺留分算定の基礎とすることは許されない。

4  被控訴人が太郎と同棲生活を始めた昭和五三年三月当時、控訴人春子と太郎の婚姻関係は、別居していたとはいえ三年程度しか足っておらず、未だ破綻し形骸化した状態ではなかった。控訴人春子の慰謝料請求を棄却した原判決の認定は、夫婦の微妙な絆を理解していないものである。しかも被控訴人は、太郎に甘い言葉をかけられたからといって、妻がいることを知りながら簡単に同棲生活に入ったものであるから、罪の意識があったはずで、相応の責任を負うのは当然である。

理由

一当裁判所も被控訴人の請求は原判決認容の限度でこれを認容しその余を棄却し、控訴人春子の反訴請求はこれを棄却すべきものと判断する。

その理由は次のとおり付加訂正するほかは、原判決の理由と同一であるからこれを引用する。当審における新たな証拠調べの結果によるも、右認定判断を覆すに足りない。

二原判決の付加訂正

1  原判決七枚目裏一〇行目の「甲野太郎は、」の次に「入院治療を受ける状態となったので」を加える。

2  同八枚目表一行目の「本件包括遺贈をした」の次に「もので、右土地建物の外に合浦七番二六の土地の二分の一の共有持分が遺贈の目的となるが、右評価額は後記認定のとおり四〇万円に過ぎない」を、同四行目の「甲野太郎から」の次に「後記認定のとおり」を、それぞれ加える。

3  同一〇枚目表五行目の「借り入れ、」の次に「更に同信用金庫から証書貸付けを受けて」を加える。

4  同一一枚目裏六行目及び一〇行目の「七番二六」をいずれも「七番一三」と改める。

5  同一二枚目裏三行目の「3」を「2」と、同「4」を「3」と改める。

三控訴人らの当審における主張について

1  本件公正証書遺言が無効であるとの主張について

(一)  控訴人らは、本件公正証書は公証人が遺言者太郎から口述して作成したものではなく、公証人方の事務員が事前に作成していたものであると主張するけれども、右主張を認めるに足りる証拠はない。控訴人らの右主張は、本件公正証書原本(<書証番号略>)の公証人の署名とその本文の筆跡が異なることを根拠とするものであるが、双方を対照しても、俄かに筆跡が異なるとは認め難い。

また控訴人は、右公正証書遺言の作成に証人として立ち会った鈴木四郎は、事情が分からず、包括遺言の趣旨も理解できないまま署名し、公証人に印鑑を渡して捺印したものであって、証人としての役割を果していないから、右遺言の方式に違背すると主張するけれども、同人が本件の証人として供述するように、右公正証書遺言がなされた青森市民病院の太郎の病室に行くまでは事情が分からなかったとしても、公証人田中三郎が太郎の供述を筆記したうえ、それを太郎と立会証人の右鈴木及び花田の両名に読み聞かせ、筆記が正確なことについて承認を受けた後、右両名が署名捺印し本件公正証書原本が作成されたものであることは原判決認定のとおり(原判決六枚目裏九行目から七枚目表七行目まで)であって、右鈴木の供述中右認定に反する部分は信用し難く、右事実によれば、右鈴木は、立会証人としての役割を十分に果たしたものということができる。

そうすると、控訴人らの右主張はいずれも採用できない。

(二) 控訴人らは、控訴人春子と太郎との婚姻関係は夫婦としての実体を喪失していなかったと主張するけれども、<書証番号略>の控訴人春子の作成した報告書や同控訴人本人の供述によっても、同控訴人は、昭和五〇年七月頃太郎と別居後太郎が死亡するまでの約一四年間同人の住居を訪れたことがなく、太郎とは別居当初同人の勤務先に電話を入れて連絡し合っていた程度で、その後も一か月に一、二度同控訴人の実家の離れや自動車の中、太郎の行きつけの理髪店等で会って話し合いをする程度であって、太郎が昭和六三年三月に病気で入院しても、太郎の方から控訴人春子にそれを知らせなかったし、同控訴人の方も太郎の入院を人伝に知りながら、見舞いに行くこともなかったこと、太郎も同六二年四月に控訴人春子が直腸腫瘍で入院手術した際に見舞いをしなかったこと、なお太郎は、昭和五八年ころ控訴人春子方を訪れたこともあったようであり、同六〇年一〇月には長女の控訴人乙川夏子の結納にも出席したが、右長女や長男の控訴人甲野一郎の結婚式には出席しなかったことが認められるのであり、右別居期間中控訴人春子と太郎との間に控訴人ら主張のように肉体関係があったことを認めるに足りる証拠はなく、したがって、原判決も説示のとおり、控訴人春子と太郎の婚姻関係は、右認定の別居以来次第に夫婦としての実体を喪失し、遅くとも被控訴人が太郎と同棲を始めた当時から右婚姻関係は破綻した状態にあったものというべきである。そして、太郎は本件公正証書遺言をなすまでの一〇年間も被控訴人と内縁関係を継続していたこと、本件包括遺贈の目的となった太郎の主たる遺産である大野片岡の土地建物は太郎が控訴人春子との婚姻生活維持のために購入したものではなく被控訴人との共同生活を営むため被控訴人と同棲生活に入った後に購入したものであるし、被控訴人もその代金の一部を負担していること、右遺言は被控訴人の将来の生活を案じ専らその生活を保全するためになされたものであることなど原判決認定(七枚目裏三行目から同八枚目表六行目まで)の諸事情をも合わせ考えると、本件包括遺贈が公序良俗に反するということはできず、控訴人らの右主張も採用できない。

(三) 控訴人春子は、五〇〇〇万円以上の借財があるので、本件包括遺贈により控訴人らの生活基盤が脅かされると主張するけれども、これを認めるに足りる証拠はなく、却って<書証番号略>によれば、同控訴人は数百万円を他人に貸し付けるほどの余裕があったことが窺われるから、右主張は理由がない。なお合浦七番二六の土地の太郎の持分二分の一も遺贈の目的となっていることは控訴人ら主張のとおりであるが、原判決認定のとおりその評価額は僅か四〇万円程度である(原判決九枚目表八行目から同裏六行目まで)し、右認定の生前贈与や控訴人らの生活状況(同八枚目表四行目から六行目まで)、それに控訴人甲野一郎、同乙川夏子ら太郎の子には遺留分減殺請求が認められる(同一二枚目裏二行目から同一三枚目裏六行目まで)ことなどの事情を考えると、それが遺贈の目的となっているからといって直ちに控訴人らの生活基盤が脅かされるとは認め難い。

(四)  控訴人は、太郎は大野片岡の土地建物だけを遺贈する意思しかなかったのに合浦七番二六の土地までも遺贈の目的としているから、本件公正証書遺言は要素の錯誤により無効であると主張するところ、確かに被控訴人本人の供述は右主張に沿うけれども、太郎が大野片岡の土地建物だけを遺贈の目的とする意思でなかったことは包括遺贈している事実から明らかであって、同人の有する合浦七番二六の土地の二分の一の共有持分を遺贈の目的とする意思が全くなかったとは俄かに認め難く、被控訴人本人の右供述は推測を述べたに過ぎないというべきであるから、右主張もまた採用できない。

2  合浦の土地、建物の所有関係について

控訴人春子は、実兄五郎が、合浦の七番二六の土地及び七番一三の土地建物の代金やその購入のためにした借入金の殆どを同控訴人のため支払ってくれたものであるから、右土地建物は控訴人春子の単独所有するものであり、しからずとしても右土地建物について太郎の有する共有持分は僅かであって、これを二分の一とした原判決の認定判断は誤りであると主張するが、仮に右控訴人の主張のとおり五郎が代金等を支払ってくれたのが事実としても、その主張自体に照らし、またいずれも太郎名義で取得登記がなされていることを考えると、それは、控訴人春子だけにその土地建物の所有権を取得させる趣旨で援助したものではなく、同控訴人、太郎夫婦の生活を援助する趣旨で行ったものとみるのが自然であるから、その援助によって右夫婦が取得した土地建物は、両名の共有となりその持分は等分とみるのが相当である。しかも、太郎が右土地建物を取得するため支払った金員の存することは控訴人春子においても認めるところであるから、太郎が有する右土地建物の共有持分はいずれも二分の一を下らないというべきであって、結局のところ原判決の認定判断と同一に帰するから、右控訴人春子の主張は採用できない。

3  一〇〇〇万円の特別受益について

控訴人春子は、一〇〇〇万円は夫婦間の生活扶助義務の履行であって、生計の資本としての贈与に当たらないと主張するけれども、前記認定の右贈与当時の同控訴人と太郎の婚姻関係の実体、金額が極めて高額であることを考えると、右金員の贈与は、やはり生計の資本としての贈与とみるのが相当である。控訴人春子は子らの過去の養育料の支払であるとも主張するけれども、同控訴人がそのような養育料の支払を請求していた形跡は窺われず、右金員が養育料の支払としてなされたと認めるに足りる証拠はない。したがって、右控訴人春子の主張は採用できない。

4  慰謝料請求について

控訴人春子は、被控訴人が太郎と同棲生活を始めた当時、同控訴人と太郎の婚姻関係は未だ破綻した状態にはなく、形骸化もしていなかったなどと主張し、慰謝料請求を認めなかった原判決を非難するけれども、被控訴人が太郎と同棲生活を始めた昭和五三年三月当時、控訴人春子と太郎は別居生活を二年半以上続けていて、婚姻関係は事実上破綻し、形骸化していたこと、被控訴人は太郎に妻の控訴人春子がいることを承知していたが、太郎からその婚姻関係は右のような実体にあることを知らされ、同人から懇願されて同棲生活に入ったものであることは原判決認定のとおり(原判決一三枚目裏一〇行目から同一四枚目表九行目)であって、被控訴人は右婚姻関係破綻に何ら関係を持たなかったものというべきであるし、太郎の右言に偽りはなかったのであるから、被控訴人が太郎と右のように重婚的内縁関係に入ったことによって、控訴人春子の守操請求権や家庭生活の平穏を違法に侵害したものということはできない。

そもそも控訴人春子は、昭和五九年四月頃に被控訴人が太郎と同棲していることを知った(<書証番号略>)後も、太郎や被控訴人に対し特別な対応を示さなかったのに、被控訴人から本訴を提起されるや反訴として本件慰謝料請求をなしたものであって、同控訴人が慰謝するに値する精神的苦痛を被ったかどうか極めて疑わしいところである。

したがって、控訴人春子の右主張は採用できず、本件慰謝料請求は理由がない。

四  よって、本件控訴は理由がないから、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石川良雄 裁判官 山口忍 裁判官 佐々木寅男)

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